かぐわしきは 君の…
  〜香りと温みと、低められた声と。

    10 ( 光あれ…? )



ちょっぴり おっちょこちょいだけれど大胆で。
向こう見ずだけれど柔軟で。
骨張った肩も腕も、なのに頼もしくて温かで。
薄い頬に冴えた双眸という、精悍な面差しなはずだのに、
意外にも 人懐っこい笑顔がまず浮かぶ。
ささくれ立ってた心持ち、
何の策も弄さずに、
それは訥々とまろやかに ほどいてくれた人。

  だって、彼こそは

かつての昔、
どんな策謀にも批判にも、
彼のみならず使徒らにまで及んだ 耐え難き迫害にも、
怯むことなく毅然として、
前へ前へと進み続けた人ではないか。
勇気を支える強靭な信念と、
それは尋深い懐ろに満ち満ちた 豊かな慈愛とで、
あまたの人々を救い支えた神の和子。

それが この彼、
イエス=キリストではなかったか。





     ◇◇◇



そこは、
松田ハイツと名づけられた六畳一間のアパートの一室で。
何の変哲もない中古の文化住宅の一角だというに、
もしかしたら今後の世界をどよもすかも知れぬ会見が、
人知れずのそれは静かに持たれており。

 「……。」

一説には 霊力が宿るとも言われ、
はたまた影響を受けやすいともされる“髪”なのを。
それは強靭な精神力もて培われし、仏の奇跡たる“神通力”により、
ぎゅうぎゅうと粒状にまで圧縮してまとめたのが“螺髪”だそうで。
そんな仕様であると聞いておればこそ、
その集中力にて形成していた螺髪が解けてしまったということは、
どれほどの衝撃に見舞われた彼なのかも及び知れるというもので。

 まるで 何かしらを呑んだ深淵が音もなく佇む
 真夏の更夜の夜陰のように

それはつややかであるのみならず、
深い帳(とばり)を思わせるほど、
厚みや奥行きさえ感じさせるよな 絹の黒髪が、
力なく萎えてしまった背に肩に添う格好で、
長々と下ろされたままになっているからだろうか。
例のないほどの放心のせいもあってのこと、
若々しい…というより いっそ
それは幼い風貌となってしまっているブッダを前にして。

  なぁんだ、と

まずは、随分と心なく聞こえる一言を放ったイエスであり。
そのような仕打ちとて、

 「……。」

玲瓏に澄み渡っていた瑠璃の視線さえ、
今は深き潤みに沈んでしまっていての、
繊細透徹なその御心、
すっかり擦り切れさせていた 釈迦牟尼ことブッダには。
それが酷かどうかも もはや判らぬほど、
あまりに遠くなった存在からの 無慈悲な揶揄でしかなかったか。

 そもそも

他でもないイエスをこそ、
他と分けてもと想うようになってしまった自覚と共に、
思慕の情と そのような業への罪深さとの板挟みに遭い。
それが招くは破滅か失道かというほどの、苛酷な苦悩に苛まれた末、
それでも愛しいイエスの傍にいたいなら、
当の彼にさえ聞こえぬよう、
想いを堅く封じる他はなしという悲しい決断をしいた彼であり。

 だというに

逃れようのない言及をされたからとはいえ、
選りにも選ってそのイエス本人へ
身を切るような想いで紡がれたそれ、
切なくも悲しい独白を聞いたばかりだというに、

 「私の気持ちに気づいたからじゃあなかったのか。
  なら良かった。」

当のイエスが口にしたのは、微妙に咬み合わない言いようで。
いくら日頃からも屈託のない言動の多い彼だとて、
何とも非情冷酷な言い分をなさるものよと。
言葉づらだけを聞いた者がいたならば、
そうと誤解してしまっても十分な文言でもあったれど。
それへとすぐさま続いたのが、


  私のせいでブッダが、
  悟りも穢されの、しかも追放とか何とか、
  堕天みたいな目にあったらどうしようって思ってた。

  まるで今朝見た あの蓮の花みたいに、
  苦行の末だと思えないほど 清らかなブッダが、
  そんな謂れのないことで苦界へ堕とされるのは ヤだったから。





  “…………………え?”



自分を穢そうとした“愚かな失道者”を揶揄する誹謗なんかじゃあない。
何かを隠すため、ブッダがまとっていた不審な陰が去ったことへの、
心からの安堵とそれから、何かしらの幸いを咬みしめてのこととして。

 神の御子イエスは
 それは厳かに、だが、その倍くらい朗らかに、
 柔らかな笑みを満面にたたえると、

 「あのね? 私もずっとずっと、
  ブッダと離れ離れになるのはヤダって。
  そんなことばかり考えていたんだよ?」

衒いなく、そうとあっさり言い切ってしまわれて。

 「…………………え?」

その胸へと秘めていた、
聖なる君には許されぬ想いと、悲痛な決意を吐露しつつ。
何への憐憫を思うてか、
すべらかな頬へ はらはら零した涙の跡が、何とも凄絶で痛々しい、
友のそんなお顔へこそ、哀しそうに眉をひそめて見せたイエスは。

 「植物園で おやと思った折に、
  もっと強引に訊いておればよかったんだね。
  辛かったね、苦しかったろうね。本当にごめんね。」

さっきは唇を押さえた人差し指を…今度は親指へと変えて、
ブッダの目元、頬のふちへと そおと触れさせると。
彼の零した切ないしずくを、左に右に やさしく拭ってやりながら、
それは真摯に、そして切に、何度も何度も謝り続け。
浮かせた腰を下ろしつつ、
そちらへと進めていた膝の間へ引き寄せていた彼の友の、
嫋やかな肩と丸くなった背を、
そおと、だがしっかと抱きすくめた
ヨシュア様であったのだった。






  とて。

 「   ………。」

依然としてその髪を螺髪に戻せず、
それから察しても、いまだ憔悴の去らないままな様子の、
ブッダ様だったのだけれども。
多少は落ち着いたか、
それとも……我に返ったか、
居心地のいい懐ろから もぞもぞと脱出を試み始めて。

 「ブッダ?」

なし崩しはイエスの同居生活での十八番だが、
今回ばかりは…このまま懐いていても何の解決にもならぬとばかり。

 「……。」

じいと上目遣いになって
無言で何をか問う開祖様であり。そして、

 「…判った、判った。」

このお顔のブッダには勝てぬのか、
緩いとはいえ拘束状態だった腕の輪を解き、
収まりがよく、何より“離れ難い”と堂々と宣したその身から、
やや後じさっての距離を戻すと、

 「さて、どこから話せばいいのかな。」

イエスとしても用意があった運びではないものか、
そんな風に言いつつ
自分の中の記憶を溯ってだろう、軽くまぶたを伏せて見せる。
外ではとうとう雨でも降るものか、窓が風に叩かれて小さく震えたが、
すぐ間近から立ったそれさえ、
すっかりと他所ごとのように思えたブッダだったのは、

 「……。」

自分の裡(うち)で何かを探るイエスから 視線が外せなかったから。
伏し目がちとなると、ますますとそのお顔の鋭角さが増し、
物思うお顔はたいそう静謐でありながら、
その身のうちへと呑んだそれ、深い錯綜を爪繰る様子は、
哲学者か あるいは占者のような重厚さもたずさえており。

 「……。」

視界を曇らす涙もいつの間にか止まっており、
こんな形であれ、
この彼と共に過す刻は もはや希少だと思うたか、
ただただ じいと、メシアの無言の模索を見守っておれば、

 「…うん。」

ややあって 何かへ辿り着いたか、
小さく顎を引くと顔を上げ、
イエスは 彼の側のお話とやらを切り出し始めた……のだが。

 「そう、切っ掛けはというとね。
  ブッダが風邪を引いて
  下界で初めて寝込んでしまったときだった。」

 “…………はい?”

一体どんな尊き真理や、直感の降臨が説かれるものかと思いきや。
随分とまあ、判りやすくも身近な
甘酸っぱい思い出話が出て来たもので。
あれあれ、わたし何か聞き間違えたかなと、
ブッダもついつい、涙を宿した睫毛のまま瞬きしてしまったほど。
そんな微妙な空気に構いもせず、
イエスは いかにも真剣に思い起こしたとする
その突発事の折の心情を訥々と紡いでおり、

 「あのときにブッダにも言ったけど、
  私は病いの看病には縁がなくてねぇ。」

普通一般の民が相手なら、
神の御子たる奇跡の力が働きかけてのこと、
自分が傍らへ寄っただけで勝手に元気になってしまうのだとか。
そんな事情に加え、
本人もまた その体に巡る神の血のおかげか、
病い知らずという身だったこともあり、
これ以上の一般的な病いはない“風邪”へさえ、
どんな辛さか どんな対処をすればいいのか、
全くの全然 蓄積を持たないイエスだったものだから。
聖人であるブッダの容体には
自分のその“奇跡”が効かないのだと判ってからこっち、
勝手の判らぬことへの不安から、随分と浮足立っていて。

 「病院から戻ってからも なかなか熱が下がらなかったあの時、
  慌てて天部の梵天さんを呼んだのは、
  本当に心からブッダを助けてほしかったからなんだけど。」

天部というのは
仏教という教えが生まれる以前からインドにあったバラモン教の
代表的な神々を習合したもので。
新しい考え方を説くおりに
既存の存在を用いることで話を通じやすくするというのはよくある話。
日本の稲荷神のお使いがキツネなのも、
大陸の農耕神を持って来たその教えを伝える経緯の中、
その神が使いとして連れていた山犬をキツネに置き換えたからだという説があるそうで。
それと同様に、
梵天や帝釈天もまた、そもそも存在した神だったのを、
仏教を守護する神であるとして引用し、頼もしい後ろ盾としたとされていて。
それほどまでの初めという昔から、
釈迦牟尼を庇護していた格と蓄積を持つ身である梵天は、
当のブッダがついつい示す反発が
どんなに理や節度を通したものでも反抗期の子供のそれに過ぎなく見えるほどに、
それは大きく頼もしい存在であり。
ああ頼ってよかったと、イエスもしみじみと思ったのだけれど、

 「頼もしさの勢い余って、
  此処では手の打ちようがありませんとか言われて、
  浄土へ連れて帰りますって言われたら、って。」

あとで“それもあったんだ”って思ったら、
そりゃあもう、

 「夜中にふと思い出すたびに
  布団の中でじたばたするどころじゃあない、
  何でもないときにも思い出しては、
  震えて来そうなくらいに ゾッとしたんだよ?」

打って変わって、
いかにもしょっぱそうなお顔になったヨシュア様であり。

 「……え?」

聞き返されたのは 意外なことだったからだろうと、
そこはさすがにイエスにも判るのか、

 「迂闊にも程があるよね。」

自分で呼んだ人なのにねと、
自嘲半分、照れたように苦笑を零した彼だったけれど。
聞いていたブッダが唖然としたのは そこではなくて、

 「それって…随分前のことじゃあ。」

自分も ついの昨日に思い出しはしたが、
それってこの地へ降臨して来て、半年かそこらの、
そう最初の冬に起きたことの筈。
ああそんなこともあったねなんて、
すっかりと過去のことにしちゃってた出来事で。
どうかすると2年近くも前のこと。

 「そうさ。」

どうしてだか、
威張るように そのお顔をややそびやかし、
胸まで張ってきっぱりと言い切ってから。
なのに、すぐさま肩からすとんと力を抜くと、

 「そのくらい前から、わたしはずっと
  ブッダが居なくなったら どうしようって恐れてた。」

私一人ではやってけないとか、そういう心細さからではなくってねと、
妙なところで要らぬ気の回しようを挟んでから、

 「これまでだって沢山の人たちとのお別れがあったし、
  天の国での再会が果たせなかった人も少なくはない。
  でも、それでも魂や絆はつながったままだと静かな安堵を覚えていられた。
  絶望や喪失感なぞ、私にはずっとずっと無縁だったのに。」

そんなことを思ったのは、
恐らく生まれてこの方、いやさ、
聖人となってもなお 覚えのないほど、初めてのこと。
誰へも惜しみなくそそがれるべき“アガペー”は、
誰という区別なき意志であり、いわば神からの公平な慈愛。
かつてそれを不満とした前の天使長が堕天したように、
否定することが、許されぬ大いなものでもあるというのにね。
だというのに、

 「ブッダにだけは どうしても
  アガペーとは カラーも重さも違う
  別口の“好き”を意識してしまうようになったんだ。」

 「…っ。///////」

今の今、ちゃんと一緒にいるのにね。
ちゃんと二人でいるじゃないって思うんだけど、でも。
それが適わなくなったらどうしようって、
どうしてだか、そういう不吉な“もしも”ばかり押し寄せては不安になる。
今もそうだということか、
落ち着けぬよに ゆるゆるとかぶりを振るイエスなのへ、
ブッダは さっきまでの自身がそこにいるかのような既視感を覚えたほどだ。
難しい言いようは一つもないのに、
何とするする心へ入ってくる言葉であることか…。

 「誰かを好きになるっていうのは、
  何につけ果てしなく相手が好きだとか、
  私をこそ好きになってほしいとかいう 前向きな“もっと”だけじゃなくて。
  そりゃあもうもう、
  いろんな“もっともっと”が襲い掛かってくるんだなって、
  初めて身をもって知りました。」

 「…イエス。」

でも、肝心なブッダに気づかれちゃったら元も子もないでしょう?と、
ちょっぴり声を低めると、それは静かな声音になって、

 「丁度 ブッダが不安に思っていたのと同んなじで、
  わたしのあらぬ我儘の歪みから、
  ブッダに災厄の陰が落ちたらどうするのって。
  それもやっぱり考えたんだよ?」

 「あ…。//////」

先程、厳かなまでの神妙に、
様子がおかしいとブッダへ問うたのも、実は実はそんなため。

 「アガペーとは別口の“好き”を抱いてしまったなんて、
  公言しちゃあいけないんだろうと思ってのこと、
  ずっと黙っていたけれど。
  それでも君にはお見通しなのかなぁって。」

 生真面目な人だけど、その前にとても優しい人だから。
 私の罪に気づいて、でも、
 君の裁量で何とか出来ぬものかと
 誰にも言えぬまま苦しんでいるんじゃないかって…。

 「でも、どうやらそうじゃあなかった。
  君もまた、
  自分の意志から私を好きになってくれたんだよね。」

 「う……。///////」

ここでそれを訊きますかと、
あまりの不意打ちに視線がついつい泳いだブッダだが。
泣き疲れたせいか、少しほど剥き出しなところの多い心持ちを、
真っ向から容赦なく とすんと突き通した、
イエスからの衒いのない視線には逆らえず。

 「……ん。//////」

是と頷けば、

 「我慢強い君が、
  ああまで不審になるほど隠し切れない動揺を抱えたなんて、
  私を庇ってのことなら、甘やかされているにも程があるよねって、
  ただただ そう思ってた。」

でも、と。言葉を切ったイエスは、
仄かにそわそわと視線を泳がせてのそれから、
あらためてブッダを見やると、

 「困っている君なのを前にして、でも、
  それは思い違いだったって判って来るにつれて。」

  それどころか、
  君が私と同様に
  好きという気持ちに振り回されていたって判って来て。

 「不謹慎なことだけど 凄く嬉しかった。
  私だけの独りよがり、
  君には迷惑千万な片思い…じゃあなかったんだし。/////」

恋心を語りつつ、緩く握ったこぶしを口元へ寄せる所作は、
30代風 聖人男性が披露するにはあまりに年甲斐のない代物のはずだったが、

 「〜〜〜〜〜ば、ばかなことを。//////」

それを聞いた ブッダもブッダで
耳からうなじから真っ赤になってりゃあ世話はない。

  同情なんて聞かないんだからね。
  あ、何言ってるかな。私ちゃんとブッダが好きだよ?
  私の好きとは きっと違うって。

 「同じだもの。」
 「どこが。」

ムキになっての認めぬ強情さは、
引っ繰り返せば、恋に慣れない純情さが示す、
過激・過敏で、過剰な反応とも言えて。
そうとも気づかず挑発的な眸を向ける開祖の人へと、

 「優しくて、でも意志の強い人でもあって、
  厳しいけど可愛いところも沢山あって。」

美徳を1つ1つ数え上げるイエスであり。
ああしまった、これって惚気じゃないかと。
ますますと居たたまれなくなって、
座ったままながら、もぞもぞしかかったブッダだったが、

 「いい匂いがするのは、
  私に気を許してくれているからなんでしょう?」

 「……………え?///////」

アンズの匂い。あれっていつもする訳じゃないんだもの。
すっかりリラックスしてなけりゃ、香ってこないの知ってた?

 「え?//////」

それって…えとえと、ちょっと待って。
心当たりのあることが私のほうにもあるんだ、うん、と。
いつも間が悪くて聞けないままになってた匂いを、
ブッダも不意に思い出した。
それは清かで印象的で、
まるで絹糸のように一瞬だけそよいでは、
すぐに消えてしまうほど儚いそれだのに、
何とも芳しいばらの香り。
そういえば、あれも、
すっかりと気を許した状態のときしか、匂い立つことはなかったような…。

 “えっと…。///////”

思わぬことをつつかれたせいでか、
またもや隙だらけになっていたようで。そこへ、

 「…ねえ、
  これはブッダへというよりシッダールタに、
  一つ訊いてもいいかな。」

 「えっ? はは、はいっ。」

虚を突かれてのこと、
いいお返事と共についつい背条を伸ばして見せれば。
向かい合ってたイエスもまた、
そちらはゆったりと背条を伸ばしてのあらたまり、

 「…こうやって、
  誰か一人を特別に大切だと深く思うのって、
  ホントにいけないことだと思う?」

 「う…。」

それを自分に訊きますかと、
言葉に詰まったブッダだったのは言うまでもない。
ついさっき、いけない恋をしましたとの懴悔を吐いたばかりの身だ。
だから、否とは言えぬと踏んだのか、
それとも逆に、全力で否定するブッダと丁々発止の論を起こし、
それをねじ伏せることで正論という御旗を得るつもりか?

 “…いやいや。”

そういう駆け引きは、やらないし出来ないのがイエスではなかったか?
狡猾という言葉とは最も縁遠い友の、
だが、だったら何故?という真意が酌めなくてのこと。
うんともすんとも答えられないブッダなのを見やると、

 「それが悪魔の持ちかける“誘惑”としての固執なら、
  確かに困ったこと、いけないことなんだろうけどね。」

人を試す存在でもある“魔”が差した隙に、
それは巧妙に心へと入り込む誘惑というものは。
根拠が脆弱なので支えにはならず、人を恨んだり呪ったりの糧になりやすい。
また、誰か一人を別格の大切とするということは、
それ以外との“差”を作ることに通じるので、
小さきものへは“迷い”にもなろうし、

 「導く者は公平を期せよということで、
  教えを説く存在には特に、疚しいとかいけないとか。
  姿勢を正せよという ついでのように
  突き付けられてしまうことなのだろうけど。」

  人を想う気持ち自体は崇高で善きことなのにね。
  それさえも否定してしまうのってどうだろう。

 「それは、そうかも知れないけれど…。」

人は弱い生き物で、
理屈では判っていても、正邪を踏み違えることもある。
だからこそ、
厳しい苦行を経て精神を鍛えなければ
悟りに近づけぬとする仏教では特に、

 「必ず歪みへ飲まれてしまうと、最初から決めてかかるの?」
 「う…。」

ああこれには覚えがあるぞと、
徐々に落ち着き始めたブッダの意識がそんな警告を発し始める。
特異奇抜な言を弄すという巧みなことはしないが、
抗い難い正論を並べ、それは清かに人を言いくるめてしまう。
教えのおりにも使っていたのかどうかは知らないが、
万人に効くかどうかも知らないが、

 “ずるい…。”

覚悟を決めてしまった、それは毅然とした眸で挑みかかられては、
少なくとも彼のシンパシィらには、逆らうこと敵わぬに違いなく。

 しかも

 「もしかして
  こんなぐだぐだなこと言い出すなんて、
  ブッダが案じてくれた、
  アガペーを保てなくなってる状態なのかもしれない。」

イエスは自分からそうと言い出した上で、
ハッとしたブッダの双眸を真っ直ぐ見やると

  でもねと、ほわり微笑って見せて。

 「苦難ならそれこそ任せてって思ったワケ。」
 「…いえす…。」

へろりとしてばかりに見えるかも知れないけど。
圧しに弱いわすぐ切れるわ、
何とも頼りにならないトコばかり見せているけど。

 「アガペーと、それから も一つの好きと、
  意識したその時からこっち、
  しっかと抱え切って見せようじゃないかって
  堅く決めていたからね。」

 「………。」

思い立ってからまだほんの2年くらいだけどもね。
だからって、当てにならないなんて思わないでよね。

 「だって、こんなに傍にいる当のブッダに、
  気づかせないでいられたんだよ?」

演技なんて面倒なことなんかしちゃあいないし、
第一、そんなのこそ、
ブッダの彗眼にかかったら すぐバレちゃったと思う。
そいで もっと早くに破綻していたかもしれない。

 「イエス…。」
 「演技はしちゃあいないけど。
  公言しちゃあいけないというのだけは忘れずにいたし。」

他の人は勿論、ブッダ本人にも知られてはいけない。
それって、イコール、
好きですって告白出来ないってことだけど、
それがペナルティでも良いからって思ったの。
それは最初から覚悟してたからね。
ちょっと矛盾して聞こえるかもだけど、
さっきも言ったように、
ブッダが何か抱え込んだりしちゃあ本末転倒だもの。
それこそが苦難で試練ならしょうがないって、
それでずっとずっと黙ってたんだけど、

 「今日のブッダは さすがにおかしかったもの。」

安心させたくてか、それとも
押し隠していたという想いを告げることが出来、
嬉しいのをこれでも彼なりに押さえ込んでいるものか。
どちらかといえば おどけるように語り聞かせてくれていたイエスが、
だが、ここではさすがに表情を曇らせる。

 「これはもしかして、
  何だってお見通しな君だ、私の我欲が隠し切れなんだのかなって。
  そいで、私からの大好きが負担っていう毒になっちゃって、
  君を苦しめているのかなって思ったの。」

先にも口にしていた案じ。
どんな罰より耐え難く、どんな試練より厄介な難点。
好きという想いは譲れぬが、
ブッダ自身を傷つけてしまっては何にもならぬ。

 「だったらもう、君を振り回しちゃいけないって思った。
  天世界へ、浄土へ返してあげなきゃって……っ

いきなりの唐突に、どんという鈍い響きがして、
イエスの声をそりゃあ強引に堰き止めてしまう。

 「…っ、勝手なことを言うな、馬鹿っ。」
 「痛いよ、ブッダ。」
 「痛くなきゃお仕置きにならないだろうがっ!」
 「痛い、痛いって。」

このような、神をも恐れぬ大罪、
知ったからには せめて自分が罰を与えねばと思ったか。
それともそれとも、
ただ単に
“ああもう、これ以上の御託は恥ずかしくて聞けない”
と思ったからか。

 “………。”

少し間を取った彼に届くよう、
今度はこちらから、腰を浮かせ、身を乗り出してと。
大人げないもいいところながら、
イエスへ向けての拳を振り上げていたブッダであり。

 “………。////////”

痛い痛いと言いつつ、
なのに すっかりと微笑っている彼が、本当に本当に愛しくて。
こうまでして護られていたのかという至福に、
息は詰まるわ胸は詰まるわ、
嬉しいのか苦しいのか判らなくなっていて。


 ――自分が このほんの半日とちょっとほどの間だけ
   追いつかれるものかと振り回されてのその挙句。
   きゅうきゅうと追い詰められて、
   こうまで取り乱してしまったほどの 同じ想いと苦しみを。
   このイエスは、もっとずっと以前から、
   既にその身へ 押し殺しつつ抱えていたなんて。

   『ブッダにだけは どうしても
    アガペーとは カラーも重さも違う
    別口の“好き”を意識してしまうようになったんだ。』

   しかもその事実を、
   全くの全然、欠片ほども覗かせずにいたなんて。


 「……っ。///////」

目元も鼻も熱くなって来るし、
喉奥から何か迫り上がって来てうまく話せなくなるし。

 「…ブッダ?」

拳から力が抜けつつあるのへ気づいたか。
中途半端に身を乗り出してという格好で、
彼を叩いてたこちらの手を捕まえたイエスは、やっぱり手が大きくて。
捕まえたこちらの両手を捉えたそのままに、
片手を空けて余裕で伸ばして来ると、
目の回りとか頬とか、指の腹で何度も何度も丁寧に拭ってくれて。
それでも泣きやまないものだから。
先程そうしたのを繰り返すよに、
どうどうと肩や背中を宥めつつ、
いつになく長い髪も何とか捌いてのこと、
この身を そおと自分の懐ろへ引き入れてくれて。

 「ブッダ。」

いつものお説教とは正反対、
今は私のほうこそが、小さい子供みたいに泣きじゃくってて。
恥ずかしいけど、イエスしか見てはないから
だったら良いやって思えて、それから  …………あのね?


  「わたし、も。」
  「んん?」


優しい声に励まされ、
頬を埋めている胸元の温かさに励まされ。
嗚咽のせいで みっともなく跳ねてはわななく声を、
それでも何とか振り絞る。


  「私も、頑張るから。
   だからっ、君…きみのこと








           好きでいてもいいかい?」



途端に、それは清かなバラの匂いがして。
イエスが穏やかな顔で微笑ってくれて、それから……












その日の立川市には、
暗雲垂れ込めそうな陰りとともに、
湿っぽい西風が、少しだけ吹きもしたけれど。
結局は お天気も何とかもったとのことで、
近日に来たるべき七夕の宵も、
このままいけば いい夜空を期待出来そうだとか。

  ただ、とある一部地域においてのみ

どういう加減か
川べりや土手の桜が多数、
その足元の菜の花とともに、突然の開花を見せたため、
まだ明るかった曇天の下を行き交う人々が多数目撃し、
それはそれは驚いたそうで。
また、趣味で厚物咲きの菊を育てておいでの園芸家のお庭では、
品評会で特賞を取った自慢の鉢が幾つも幾つも、
こんな季節だというにいきなり次々と咲き乱れ。
当家の主人が驚きのあまり、久々に血圧を上げてしまい。
そうかと思や、きっちりとセメントで護岸処理された川には、
だのにアユやマスが高々と水面へ跳びはねては躍りまくり。
はたまた、木立ちの多い風致地区の辺りでは、
ツバメやムクドリどころじゃあない、
妙に尾の長い、あでやかな色彩の羽根をまとった鳥が数羽ほど、
電線に留まっての優雅に羽ばたき、
神々しくも長々と鳴いたのを見た人もいたそうで。


  ………どこまで内緒に出来るんでしょうねぇ。






  〜Fine〜  13.07.02.〜07.21.


 *なんて長い“一日”だったんでしょうか。
  終盤の展開では、
  ついのこととて理屈に走りかかっては、
  出来もせんのに宗教論を展開しかかるを阻止するかの如く、
  シリアスに入ってはならぬと、妙にブレーキをかける声がして。
  あれはもしやして、
  真白き鳩のお告げだったのでしょうかね。(知りません)

  ともあれ、
  これで本編は完成です、完了投了、おさらバイです。
  いきなり 神聖な方々を踊らせ、お騒がせしてしまい、
  ファンの方々にはイメージダウンもはなはだしかったかも知れずで、
  平に申し訳ありませんでした。
  当分は、後日談や小ネタを書いてくつもりですが、
(おいおい)
  何か降りて来たら“続き”も書くかな?
(こらこら)

とりあえずのおまけ → おまけというか蛇足というか


ご感想はこちらへvv めーるふぉーむvv


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